◆欧州浪漫街道2007年7月21日から7月29日まで念願のドイツ、スイス、フランスをめぐる ロマンチックツア-に参加しました。 その一部をご紹介します。 行き先はパリ経由フランクフルト♪ トラピックスツア-で7/21-29 ドイツ、スイス、フランスを巡りました。 飛行機はフランクフルト直行ではなく、 まず成田からANAでパリに行き、 その後ルフトハンザでフランクフルトに戻る 変則ル-トです。 1回目の機内食です。 バルト海上空です。 このあたりは太古のクラトンで あり、それが氷河侵食されて 陸も海もデコボコしています。 2回目の機内食です。 1回目より洋風になったような♪ 途中体調がおかしくなり ちょっと心配しましたが、 ようやくパリの郊外、 シャルルドゴ-ル空港に到着です。 リング状の形状で有名です。 ここから中を移動して サテライト6(写真)が フランクフルトへ向かう 搭乗ゲ-トになります。 ここで、なんと空港内で買った ミネラルウオ-タ-を 没収されてしまいました。 最近は液体物の持ち込みは 特にうるさいのでご注意を! この空港は特にうるさくて、 靴を脱げといわれる場合も 良くあるようです。 フランクフルト空港に着き、 バスで移動を始めたところです。 左手に空港があり、 写真にはその向かいにあった 大きなシェラトンホテルが すこし見えています。 この空港はとても大きくて、 下手をすると迷子になってしまいます。 もう9時すぎですが、明るいですね。 パリは晴れでしたがこちらは曇りで すこし雨が降ったようです。 リュ-デスハイムの名門ホテル♪ フランクフルトから1時間半程度で、 着いたのはラインワインの中心地 リュ-デスハイムの川下側郊外。 夜9時を回っていましたが薄暗い程度。 ホテルはとってもおしゃれで、 かつ歴史を感じさせます。 ホテルの正式名称は ホテル・クロ-ネ・アスマンスハウゼン といい、1541年創業です。 日本では戦国時代あたりでしょうか。 驚きです! 実際にとまったのは、 この別館でやや離れていますが、 その内装もとっても伝統と歴史を感じる 素敵な☆☆☆☆クラスのホテルでした。 朝部屋の窓から見た本館の外観です。 左手にはワイン用の葡萄畑が広がります。 そして右側には大河ラインの流れが 迫っています。 夜はあまり眠れず、 時差ボケが忍び寄ってきています。 でも朝食バイキングにはとても満足♪ 中でも、右に見えるパンが、 穀物か木の実などが 表面にも内部にも分散しているタイプで とってもおいしかったです。 さてこれからローレライ山頂へバスで向かいます。 その後、リュ-デスハイムのワイナリ-見学、 そしてラインクル-ズです。 ロ-レライの眼下♪ まずはバスでライン川を左手に下り、 ロ-レライを目指しました。 私はここロ-レライは2度目です。 でも前回はクル-ズでしたので、 山に登るのは初めて。 この一帯はかつての高地が平坦化された 古い高原地帯のような感覚です。 その中をライン川が流れ、 両側にぶどう畑に適した 斜面を作り出しています。 頂上の駐車場に着きました。 ロ-レライのマ-クが着いていますね。 下のマ-クは猫城(ブルグ・カッツ)です。 ロ-レライよりすこし下流に建っています。 ロ-レライは132メ-トルの岩山です。 頂上に上るとライン川が小さく見えます。 川幅がすこし狭くなっていて、 流れも変化しているのだとか。 昔の船にとっては危険な場所 だったのでしょう。 足元に木材があるように見えますが、 これがこのあたりの岩です。 まるで千枚岩か片岩のようです。 ということは・・・? ロ-レライの正体♪ ここにもありました。 そうです、これは緑色片岩ですね。 千枚岩に見えていたものも、 この片岩の風化岩だと思います。 たとえば日本では青石と呼ばれ、 三波川変成帯に良く見られます。 早い話が、海洋プレ-トが 大陸プレ-トの下に沈みこんで 底付けされて高圧で変成した、 いわば成れの果てです。 という事は、 この一帯は過去には海溝付近 だったと思われます。 つまりバリスカン造山運動によって、 過去の海が消滅したその 場所だという事ですね。 で、その海の名は、 リ-ク海(ライク海)といいます。 ヒマラヤ山脈=アルプス造山運動で 消滅したのが、ご存知テチス海です。 それと同じか、それ以上の大事件が このバリスカン造山運動です。 つい石を見ると、その方向に 話がずれてきてしまいますね。 まさに地球浪漫街道です。 ちょっと待てよ、という事は、 沈み込まれた側の変成帯 つまりより北部には花崗岩も、 火山岩もあるはずです。 日本でいえば領家帯です。 多分アイフェル高地(鉱物種が豊富で有名、 あのアウインの里です。)も、 フランス北部もそういう位置づけ なのかもと、 不意に頭の中で地球が 逆転をはじめました。 バスが帰り道を走る脇で、 無数のテントが! 聞くと、これは夏の ロックコンサ-トの会場なのだとか。 変成岩の語る太古地球浪漫、 ロ-レライの音色が伝える中世物語、 そして現代音楽の競演と、 不思議な三重奏がこれからも 旅のそこここから聴こえてきそうでです。 リュ-デスハイムのつぐみ横丁♪ ロ-レライの岩山のあと、 再びバスでリュ-デスハイムに戻り、 ワイナリ-、お土産屋などが集まっている 「ドロッセルガッセ」=「つぐみ横丁」 という通りに案内されました。 ここを通ってワインセラ-に行きます。 入り口は狭いです。 上に見えるつぐみ2羽の飾りが つぐみ横丁のマ-クだそうです。 前夜は地元のお祭りで 大騒ぎだったそうです。 しばらく道なりに進んでいくと、 白葡萄の房が垂れ下がった場所に来ました。 ここがワインセラ-です。 中でワインの製造工程の説明を聞き流し、 貯蔵されているタルを眺めました。 白のほかにロゼのような種類もありました。 試飲は若いカビネットに始まり、 アウスレ-ゼ、アイスワインと、 熟成度にしたがって進み、 貴腐ワインで最高潮→購入という ワインセラ-側の筋書きですが、 私は時差ボケにより、 2,3の試飲で既に酔いが まわりそうになり試飲レ-スから脱落。 貴腐ワインは夏にはちょっと甘すぎて 私の口には合いません。 (本当は資金欠乏の言訳ですけど) 朝は雲が立ち込めていましたが、 気がつけば、空は真っ青、 太陽の光が強いです。 ラインクル-ズには絶好です♪ ライン川クル-ズその1♪ ワイン試飲の酔いも さわやかな風に吹き飛んで、 いよいよライン川クル-ズです。 スイスアルプスを源流にドイツを南北に流れ オランダで北海に出る、父なる大河の 流れに任せて下ります。 ここリュ-デスハイムから ロ-レライを越えて サンクトゴア辺りまでの 約2時間の船旅です。 両岸に葡萄畑の間から、 様々な古城や教会、 町並が見え隠れします。 エ-レンフェルス城です。 フェルスってたしか岩の意味です。 こちらはラインシュタイン城です。 シュタインって石の意味です。 そういえば岩や石が古城になった、 そんな雰囲気ではないですか(^^)。 私達が昨夜とまったホテルを 川から見ました。 さて、このライン川、 フランクフルトを流れるマイン川と 合流しています。 実はマイン川からドナウ川にも 人工的に連結しているのです。 ということは、ドイツから オ-ストリアを経てハンガリ-に 船で行くことができるというわけです。 そういえば今回フランスに飛行機で着いて、 そこでヨ-ロッパに入国という事で、 ドイツに入国の手続きって なかったような気がします。 EUの世界、通貨だけでなく どんどん接近してきたようですね。 ライン川クル-ズその2♪ ではクル-ズ後半です。 ちょうど船の一番先頭、 最高の場所に昼食の席が 予約されていました。 前半はデッキの上で眺めていましたが、 後半はここから眺めました。 さてようやくランチの時間です。 先に来たビ-ルはあっという間に 飲んでしまいました。 まるで川の中に浮かぶ 船のようなプファルツ城です。 ライン川の通行税を徴収した 関所のようなお城だったそうです。 今度は川からロ-レライを見ました。 昔この逆コ-スで眺めました。 当時を振り返ると懐かしいです。 実はグリム童話によれば、 ライン川の水底には 黄金が眠っているという伝説があり、 それがロ-レライの原型 なのかもしれません。 ロ-レライを見てがっかりする 人が多いと聞きますが、 私にはとても素敵な景勝地です。 いよいよ下船です。 自転車旅行の家族がいました。 3歳程度の赤ん坊を乗せたカ-トを 引っ張って走行するようです。 「幼児は預けて」 が日本人の考え方ですが、 彼らは違うようです。 この違いに気づくことこそ 旅行の面白さですね。 この遊覧船には 私達日本人も多いのですが、 中国人、韓国人、ドイツ人、 フランズ人、スペイン人など 多くの国の人々が乗船していました。 そういえば、 今から約55万年昔には 原人ハイデルベルグ人が ヨ-ロッパに住んでいたそうです。 それから長い年月が流れ、 ここからそれほど遠くない ヂュッセルドルフ近郊の ネアンデルタ-ル峡谷に 最初に発見されたのが、 あのネアンデルタ-ル人。 我々と殆ど変わらない新人です。 そのネアンデルタ-ル人の 子孫を追い出したのが ヨ-ロッパ文明の基礎を築いたケルト人、 ケルト人を追い出したのがロ-マ人、 ロ-マ人を追い出したのがゲルマン人、 そのゲルマン人同士も喧嘩をしながら 現代に到っています。 まるでライン川のように 長い長い人類の興亡の歴史が、 このドイツの地にもあるんですね。 さあ、この後はその歴史のある ハイデルベルクへ向かいます。 クル-ズのあと、バスに乗り、 今度はマインツから古城街道に沿って、 古き大学町で知られる ハイデルベルクへ向かいます。 このようにところどころに 古いお城が見えてきます。 予約たどりつきました。 ハイデルベルク大学から眺めた、 ハイデルベルク城全景です。 ここはヨ-ロッパでも、プラハ、 ウイ-ンに告ぐ古い大学町でもあります。 バスで丘に登り、 そこから歩いてお城に入ります。 内部は古いお城が一部廃墟化していました。 歴史が肌に感じられます。 中世にワインを税金代わりに納めさせて、 それを貯蔵するためにつくったという 巨大なタルです。 他にもお城の中には、魔女がかんだ鎖だとか、 窓から飛び降りたときについた足跡だとか、 観光客好みのエピソ-ドつき 「まゆつば物」が色々ありました。 この城は11世紀ごろから 約400年の長きに渡り、 ゴシック、バロック、ルネッサンスなど 様々な様式をモザイクにして 複雑に積み上げられたお城。 宗教改革のマルチンルタ-を支持したために、 百年戦争で城はかなり破壊されましたが、 後世このように見事に修復したのは さすが歴史と伝統を重んじる ドイツ人だと敬服します。 日本ももっとわが町の歴史と伝統を アッピ-ルするべきではないでしょうか。 ハイデルベルク市は、 たった15万人の小さな町ですが、 世界中から観光客が押し寄せてきます。 ハイデルベルクの赤い橋と教会と♪ お城の正面テラスから ハイデルベルグの町並みを 見下ろした風景は格別です。 これがほぼ全景でしょうか。 より左側を入れた遠景です。 より右側を入れた近景です。 ここに有名なテオド-ル橋= アルテ・ブリュッケ=OLD BRIGDE が見えますね。 素朴で典型的なア-チ構造が 手に取る様にわかります。 石積み構造はこのア-チによって 飛躍したと思います。 すこし近代的な町並みの ハウプト通りを経て マルクト広場へでます。 マルクト=マ-ケットです、 西欧の町の基本的な作りは、 町の中心に教会や 市役所とマルクト広場があり、 その周囲に町並みが並んで、 さらにその周りを城壁が とりかこんでいるという形態です。 この町を見ていると、 ベンガラ色の屋根色、 赤色砂岩の赤色 いずれも鉄の色(赤鉄鉱)です。 昨日見た緑色片岩も実は鉄の緑色です。 世界の岩の大半は、 鉄によって色づけられたと、 こういう姿を見てつくづく思いますね。 この写真はバスから撮った 赤色砂岩の露頭です。 沢山ありました。 この砂岩のル-ツについて、 当初はカレドニア造山運動の 産物だと思っていました。 ところが、帰国後調べたら、 三畳紀の砂岩だという 記述を見つけたので、 どうやら、バリスカン造山運動によって できた花崗岩マグマや溶岩などの 風化によって堆積した砂岩が、 酸化鉄によって染まったようです。 南部の物はもっと新しいかも知れません。 もしこのあたりのことについて ご存知の方がいらっしゃったら 是非教えて欲しいです。 テオド-ル橋の上から上流を眺めました。 この左側に、これも超有名な 散策路があります。 ご存知、「哲学の道」です。 京都東山の「哲学の道」は、 ここを模倣して名づけられました。 ゲ-テやショ-ペンハウエルらは、 一体どのような思索に ふけったのでしょうか? それにしても 初めて来た土地なのに、 郷愁すら感じます。 というのも、私のPCの壁紙 のひとつが、このハイデルベルグを 哲学の道から眺めた写真なのです。 もう2年以上前から眺めています(^^)。 ロ-マ人の遺跡の上にたつ町♪ ハイデルベルクから古城街道に沿って東進。 ロ-テンブルグの上に位置する町、 バッド・ヴァンツハイムに泊まりました。 宿は小さなホテル。 中に数箇所のレストランがあり、 迷路のように入り組んでいます。 ここのマルクト広場に一人行ってみると、 地下をのぞくガラス窓がありました。 そこにはロ-マ人の作ったらしい 古い町の遺跡が眠っていました。 さすがロマンチック街道= ロ-マとドイツを結ぶ道ですね。 朝のバッドヴァンツハイムです。 過去にはここも自由都市として 栄えたのかもしれません。 近世以降は産業の 中心から遠ざかった結果、 古い美しい町並みが、 このように保存されたのは 歴史のなせる業です。 マルクト広場に隣接する教会です。 朝食は何処でも大抵バイキングでした。 食事途中の絵ですね。 さあ今日はこれからロ-テンブルグです。 美しきロ-テンブルグ♪ ドイツロマンチック街道といえば、 このロ-テンブルグが一番有名でしょう。 実は中世の30年戦争後、近世まで荒廃し、 そのために中世当時の様式を 保持できたのが真相らしいです。 とにかく町全体がおとぎの国のようです。 この花は、ゼラニュ-ムの一種。 ドイツ圏の窓辺を飾っている花です。 虫除けの効果があるとか。 窓辺の花には本当に癒されますね。 さていよいよ城壁の中へ入ります。 すてきな町並みですね! ここがマルクト広場。 木組みの家の大きくて、 美しいこと! ブルグ公園から眺めた、 遠景もまたすばらしいです。 この町を世界大戦の時に 市長が体を張って守ったという伝説。 わかりますね。 (続く) ロ-テンブルク~散策♪ 町を散策すれば、中世に出会えます。 その代表、聖ヤコブ教会です。 ゴシック建築の壮大な姿と、 地味な色調、祈りの空間。 メルヘンチックな他の建物とは 一線を画していますね。 かつての町議会の会館にある 仕掛け時計です。 定刻いなると窓が開き、 左に将軍、右に町長が現れ、 ワインを町長が飲み干します。 この町の救済伝説ですね。 その近くに、クリスマス商品を 一年中売っているとても有名な 土産物店があります。 中は入り組んで広く迷路のよう、 ギッシリ商品が並んでいました。 Tシャツと小物を買いました。 聞けば、この日2007年の ドイツクラシックカ-レースが ここを出発点として開催されるそうです。 今出発する様子です。 どうやらタイムを競うというよりは 旅を楽しむような雰囲気ですね。 マルクト広場の市役所の塔に上りました。 といっても階段がきつくて疲れたので、 途中で引き返しました。 上から見ると皆同じ赤い屋根ですね。 他にも色々ありましたが、 また行きたい町です。 ディンケルスビュ-ル♪ ロ-テンブルグで昼食のあと、 ロマンチック街道を南下し、 ドイチェハウスで有名な田舎町 ディンケルスビュ-ルに立ち寄りました。 ここも建物が素敵ですね! この町にも、世界大戦で連合軍から 町を少女が身を呈して守ったという エピソ-ドが残されています。 守る価値のある町です。 ロ-テンブルクと同じ ドイチェハウスが並んでいます。 特に左から3軒目が、 1階より2階、2階より3階が 飛び出ています。これが本物の ドイチェハウスだそうです。 各階の各部屋がユニット構造なので、 このように出来るのだそうです。 基本原理に忠実に積み上げる ドイツ流がここにも現れています。 日本で対向するものといえば、 合掌作り?五重塔?天守閣? ロマンチック街道沿いに走る♪ デイケルスビュ-ルからは、 南ドイツのオ-ストリアに近い シュタインガ-デンにある 聖ビ-ス教会まで長時間バス移動です。 どうやら石灰岩でできた カルスト地形ではないでしょうか? このアルプス周辺には 石灰岩やドロマイトが多く見られます。 中生代に火山活動などで増加したCO2が 海水に溶け込み、さらに珊瑚によって 石灰岩に固定されたものこそ、 今目にしている風景というわけです。 ネルトリンゲンという町の城壁は、 実に綺麗な円形をしています。 その理由として、最初は火山活動の痕跡 (噴火口)という説が出されました。 その後、水蒸気爆発という説が出され、 最後に隕石のあと=クレ-タ- という説が出てきました。 クレ-タ-説の証拠である、 超高圧鉱物やテクタイトなどが 発見されるにおよび、 クレ-タ-説が決定的となりました。 このクレ-タ-名を リ-ス・クレ-タ-といい、 今から1700万年前に 地球に衝突した跡と言われています。 そのテクタイトこそ、あの有名な モルダバイトです。 昨年その採集地であるボヘミア盆地へ行き、 そして今年その生まれ故郷である リ-ス・クレ-タ=ネルトリンゲンを 通過しました。 これはモルダバイトの因縁でしょうか? この川こそ、昨年の旅で再三眺めた 母なる大河=ドナウ川です。 ここドナウベルトで、 まだ子供のドナウ川に再会しました。 ヨハン・シュトラウスの、 美しく青き旋律が聞こえてきます。 珠玉の聖ヴィ-ス教会♪ シュタインガ-デンは南ドイツの アルプスを背景にした草原で、 そこに世界遺産の聖ヴィ-ス教会が ぽつんと建っています。 主祭壇には、司教の製作した 「鞭打たれるキリスト像」が 安置されています。 当時、この像はその悲惨な姿のため 修道院に長く放置されていましたが、 像が涙を流したという奇跡のうわさが広まり、 多くの人々が押し寄せる結果となりました。 日本でも同じような事例がありますね。 そのために当時の手狭な礼拝堂を 大きく立て直したのがこのヴィ-ス教会です。 華麗な内部装飾は、 ロココもしくはバロックの最高傑作とされ、 まさに一見の価値があります。 天井には色彩豊かな 「最後の審判」のフレスコ画があり、 その美しさは言葉では表現できません。 なつかしのケンプテン♪ 聖ヴィ-ス教会のあと、 宿のあるケンプテンに行きました。 ロマンチック街道から すこし外れた位置にあります。 実は昔一度来たことがあり、 町の記憶はさだかでないのですが、 私には懐かしい町です。 夕方ホテルについてから すこし周辺を散策しました。 そこで初めて石屋さんを発見! でもアクセサリ-主体でした。 翌朝、早く目覚めたので、 朝食前にまた散策です。 教会が高くそびえています。 朝食は相変わらずバイキング。 前日とよく似ていますね。 これで英気をつけて これからドイツ最後の名所 ノイシュバンシュタイン城へ出発です。 ノイシュバンシュタイン城♪ ここが一つのドイツ観光の目玉、 ノイシュバンシュタイン城への入口です。 バイエルンの若き国王ル-ドビッヒ2世が 国家財政を危うくさせるほどの 大金を投じて作ったこの城は、 今では国花に多くの観光収入をもたらす ドル箱となっているのも歴史の皮肉ですね。 朝バスでケンプテンから到着。 この城はル-ドビッヒ2世の父の居城である ホ-エンシュバンガウ城です。 ホ-エンシュバンガウ村からバスで登り、 そこからすこし歩いて、 マリエン橋につきました。 この一帯は石灰岩で出来ています。 この橋は明治時代に作られた鉄橋ですが、 両岸が絶壁になっており、 下を見ると高所恐怖な私は ビビリまくりでした。 ここからみたシンデレラ城の全景は 最高の眺めです。 ディズニ-ランドのシンデレラ城の モデルと言われるのがよくわかりますね。 ではいよいよ城の袂にたどりつき、 これから入り口に入っていきます。 表面は周囲の岸壁と同じ 石灰岩と赤い砂岩で色分けされて 覆われています。 中に入って、今度はマリエンブリッジを 見つけました。 ああ、このように私達も乗っていたのかと、 ふたたびゾクゾク感がよみがえりました。 ノイシュバンシュタイン城から眺める♪ ノイシュバンシュタイン城から 美しい下界を眺めました。 小さな村の家々が、草原と木々に 調和して並んでいます。 ホウエンシュバンガウ城が 眼下に見えます。 青く深い湖のほとりです。 私の部屋の机の右につるしてある タペストリ-そのままの風景が 今眼下に存在します。 何年も前から有るこの写真と 同じ風景です。 カルク・アルペンと呼ばれる この山々の向こうは、 もうオ-ストリアです。 城から下る道すがら♪ 城から下る道で、 馬車に乗って上る人達を見かけました。 こちらを撮影していますね。 山には、ところどころに 綺麗な花が咲いていました。 名前はわかりませんが、 どれも清楚で可憐です。 歩いて下ったおかげで気付きました。 湖で泳ぐ人々♪ 降りる道に咲いている花々が 見送ってくれるようで楽しい。 最後の花は「ともえそう」かも。 城から眺めた青い湖。 ここで泳ぐ人々がいました。 今が長くない夏の最盛期ですね。 白鳥や雁のような鳥たちも 岸辺で騒いでいました。 こちらも湖の岸辺でランチのあと、 いよいよスイスへ向かいます。 スイスへスイスイ♪ スイスへ向かう道のりは長く、 バスの中で寝ている人も多い。 そろそろ旅の疲れが出てくる頃です。 スイスへスイスイというより、 ス-ス-かも知れません。 ここは、途中一端オ-ストリアに入った 所のドライブインだったと思うのですが、 道端で転がっていた石です。 典型的な蛇紋岩ですね。 蛇紋岩は、大断層地帯に出る岩石です。 本来地底深くでできた橄欖岩の 含水変成岩といわれます。 スイスではアルプス造山運動でできた 多くの逆断層があり、 そこから上昇してきたものかもしれません。 ダイヤモンドとおなじように、 地球ダイナミックスの申し子です。 ふと目にしたこの花にくぎづけ。 我家に咲いている花と同じです。 海外では、違うことに驚き、 同じことにも驚きますよね。、 これ、メ-カ-のトレ-ドマ-ク? スイス国民は牛がお好きなようです。 湖の対岸に露出している地層です。 過去の地球の活動の結果を 目の当たりする光景ですね。 長い湖を数個通りましたが、 氷河のU字谷か、地溝帯か? 多分前者でしょう。 次第に険しい山や湖が迫ってきます。 アルプスはもう近い? 峠を越えてインタ-ラ-ケン♪ スイスの山は、日本の山より、 どこか迫力がありますね。 若々しい印象です。 インタ-ラ-ケンの手前にある峠です。 インタ-=間 ラ-ケン=レイク=湖。 つまり二つの湖の間にある町ですね。 アイガ-、メンヒ、 そしてユングフラウ の三名山の登山拠点として グリンデルワルドと並び 古くから栄えてきた、 国際観光地です。 峠を降りてもうすぐというときに、 かすんで見えた山の姿です。 神々しくてまるで神の山! ようやく夜インタ-ラ-ケンに到着。 といってもまだ明るいですが。 インタ-ラ-ケンの夜♪ インタ-ラ-ケンの街中に 今夜のホテルがありました。 そのホテルの3階に変なものが? よく見ると・・・ スイス人は牛が大好きなようです。(笑) レストランは別の場所で、 民族舞踏、芸能を見ながらでした。 家族でやっているのです。 子供とお母さんと、 写真に写っていませんが、 そのお母さんまで出演していました。 綺麗な顔立ちなのですが、次第に 太っていく、南ドイツやスイスの 民族の特徴です。 彼らの中には特に混血の人々に 天才が多い事で知られています。 スイスのフルコ-ス♪ といっても食事ではありません。 朝食で敷いてあった ペ-パ-クロスに描いてあるのが、 ユングフラウ近辺の登山コ-スです。 この一帯が世界自然遺産です。 今回の旅行の一つのハイライトです。 まず、インタ-ラ-ケン(標高567M) からグリンデルワルド(標高1034M) までバスで上ります。 次に登山電車でクライネシャイデック (標高2060M)まで上ります。 ここでふたたび電車をのりかえて、 ユングフラウヨッホ(標高3454M) まで一気に上ります。 昨夜は雨に降られて、 大丈夫かなと気をもんだのが まるで嘘の様に晴れ渡っています。 深いV字谷がさわやかです。 バスでグリンデルワルドまで登りました。 眼前に広がるパノラマは 次第にスケ-ルアップしていきます。 右端がアイガ-の北壁でしょうか。 夢にまで見た絶景が 次第に近づいてきます。 ハイジの里も見え隠れしています。 ここまではよかったのですが、 この後、不運や不調が 押し寄せてきました。 グリンデルワルドから登山鉄道で♪ ここグリンデルワルドは、 冬のスキ-リゾ-トとしても 夏のハイキング拠点としても、 国際的に有名な町です。 見覚えの有る建物があって感激です。 ここからまず標高2060Mの クライネシャイデックまで 登山鉄道に乗ります。 ここで、デジカメのバッテリ-不足に 気がつきました。 バスの中のス-ツケ-スに 予備デジカメもあるのですが、 時既に遅し。 さわやか~ですね! 本当にハイジが遊んでいる かのような風景です。 アイガ-の北壁が迫ってきます。 首が痛くなるような迫力です。 そろそろデジカメバッテリ-が やば~い(^^;;;。 ユングフラウヨッホへ♪ 私は今回のツア-申し込みの際、 以前に3820Mの地点で 呼吸がすこし苦しくなった経験と、 今はもうやめていますが、 喫煙による肺機能低下から、 3000Mを越えると高山病が心配で、 ユングフラウヨッホまでは行かずに、 ここクライネシャイデックで 休憩という事にしました。 ところが、 高山病は時間がたたないと症状はでないし、 これまでそのような人は出ていないという 添乗員の説明を聞いて、連れ合いからも、 問題ないと腕を引っ張られ、 しぶしぶユングフラウヨッホまで いっしょに行くことにしました。 これが間違いの元でした。 前述しましたように、 デジカメのバッテリ-がきれたので、 大半はやむなく現地調達した インスタントカメラで撮影です。 これを帰りにス-ツケ-スの中にしまって、 すっかり忘れてしまい、 検査用のX線をたっぷり浴びてしまいました。 だめもとで現像依頼したところ、 なんと幸運にも無事でした。 一部その写真を再度デジカメ撮影しましたので、 ボケ等、醜いものがありますがご容赦ください。 ここクライネシャイデックからの景色も絶景です。 まるで屏風のようなこの山、 左がヴェッタ-ホルン(3792M) 右がシュレックホルン(4078M)です。 どちらも富士山より高いんです。 ふもとがほぼ2000Mです。 ホルンという山の名前がよくありますが、 これは、(氷河によって)削られて とがった頂をもつ山を言います。 この右側にアイガ-が連なっています。 これがユングフラウ鉄道です。 最大勾配が約20度もあり、 ラックピニオンにより上っていきます。 行程の大半はアイガ-の中の トンネルをくぐリます。 はじめは外を登ります。 車窓からの眺めは最高です。 でも体調は最悪になりました。 とても息苦しいのです。 高山病防止でブリ-ズライトを 鼻につけて見ましたが、 かっこ悪い割にあまり効果はありません。 深呼吸をすると良いといわれて 何度かしたのですが、 どうもあとから考えると、 これがいけなかったようです。 窓の外にはアイガ-の壁に へばりついた氷が自然の厳しさを 象徴しています。 井上靖の小説「氷壁」を、 ふと思い出しました。 途中トンネル内の2箇所で5分ほど停止し、 そこから外の景色が見える アイガ-の窓にいけます。 高度馴化の意味もあるらしいです。 最初の停車「アイガ-バンド」では、 なんとかかんとか歩けました。 デジカメ最後の撮影でピンボケでしたが、 アイガ-から眺めた下界です。 自分は調子が悪くて外を眺める余裕はなく、 写真ではじめてこの凄い景色を見ました。 ここにこれたのは本当に幸運です。 二つ目のアイスメア-という駅では、 もはや降りるのを断念しました。 これが高山病なのか???と茫然自失。 ・・・・欧州浪漫~P2に続く |